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概要と統計

ポルトガルの概要

国名 ポルトガル共和国、通称ポルトガル(Portugal) 漢字表記:葡萄牙
首都 リスボン(Lisboa)
国旗 ポルトガル国旗
面積 91,985km2(世界109位、日本の約1/4)
人口 約10,270,000人(2018年,ポルトガル国立統計院)

地形

イベリア半島西端に位置する国でリスボンから西に約1,500km離れた大西洋上火山の島のアソーレス諸島、南西に900kmにあるマデイラ諸島からなります。

ポルトガルの最高峰はアソーレス諸島ピコ島にある標高2,351の成層火山ピコ山で、本土で最も高い山は北部に位置するエストレーラ(ポルトガル語で『星』の意味)山脈にある標高1,991mのトーレ山です。ポルトガルの東部は山岳地帯が広がり、山脈が北東から南西に走っているため北部ほど海岸平野部分が少なくなります。そしてテージョ川が国のほぼ中央部を東西に流れ、首都リスボンはテージョ川の河口部分に位置しています。南部の山々はなだらかで、丘陵地帯が広がります。北部にはポルトガルで2番に大きなドウロ川が流れ、上流地域にポートの原料となるぶどう畑が広がっています。

気候

マクロ気候では地中海性気候に属し気温は夏季の平均気温は20度、冬季は10度と温暖ですが、地域や季節による差が著しく、大西洋を北から南に流れる寒流(カナリア海流)の影響で北部は緯度を考慮すると夏でも涼しく、寒暖の差が小さいのが特徴です。北部の年間降水量はぶどう栽培に適した1,200~1,500mmで特に冬季に雨が多くなります。中部は夏期の気温が高く、年間降水量は500~700mm、さらに南部は典型的な地中海性気候で夏季は乾燥し年間降水量は500mm以下となります。

歴史

歴史は古く、ドウロ川支流のコア川には35,000年前のクロマニョン人による動物壁画が残されています。そして紀元前1000年ごろフェニキア人によって青銅器文明が始まり、この頃からぶどうの栽培が始まりました。紀元前900年ごろからケルト人の侵入があり、その後、紀元前201年に第二次ポエニ戦争でカルタゴに勝利したローマ人がイベリア半島を征服し、さらにワイン文化が広がりました。その後、イスラム教の支配がありましたが、キリスト教へのレコンキスタはスペインよりも早期に終わり、13世紀初頭にはキリスト教の国としてワイン産業も復活しました。

大航海時代の始まりによって、エンリケ航海王子(1394年~ 1460年)の時代に海外進出が本格化し、1488年にはバルトロメウ・ディアスがアフリカ大陸南端の喜望峰を、そして1498年にヴァスコ・ダ・ガマがインドに到達し、1500年にペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルに到達し、ポルトガルによるアメリカ大陸の植民地化が進みました。

日本に最初に来たのは1541年~1543年のことです。織田信長の保護のもと日本では南蛮貿易が始まり、南蛮文化と共にワイン(珍蛇酒)が紹介されました。

18世紀にはセバスティアン・デ・カルヴァーリョ(のちのポンバル侯爵)の活躍が見られます。その後はヨーロッパの各国と同じように、戦争と同盟そして革命が勃発しました。1822年ポルトガルに大きな富をもたらしていた植民地ブラジルの独立後、農村における大土地所有制と零細農民の併存という土地所有制度が維持され、その後も「カシキズモ」と呼ばれる農村部のブルジョワ主導の大土地所有制度が続きます。

1910年の革命によって共和政に移行したものの、第一次世界大戦中、そして戦争が終わっても政治不安が続きました。1932年に首相に就任したサラザールによって経済活動が活発化しましたが長い政権維持による批判が勃発し、その後を継いだエスタド・ノヴォ体制を打倒した1974年4月25日、無血の「カーネーション革命」の成功によって、やっと近代国家に仲間入りしました。1986年1月1日のヨーロッパ共同体(EC)加盟が経済成長のきっかけとなり今日に至っています。